マラソンのススメ

こんにちは、工事部の杉原です。
趣味は野球、マラソン、スキンダイビング、キャンプです。

趣味にマラソンが入っていますが、実は昔から長距離走が嫌いで、今考えても趣味になったのがとても不思議です。
しかも初マラソンでは両足の親指の爪が剥がれてしまうし、ゴールする時には『来年は絶対に走らない』と思いながらゴールゲートをくぐったのを今でも覚えています。
そんな事がありながらもハマりました。

ではその初マラソンで何が起こったのかと言うと…

事の始まりは、2010年の6月に妻と私の友人Aの3人で沖縄へ行き、居酒屋で飲んでいる時に、
「今年の12月に開催される那覇マラソンに出ようよ」
と妻が酔った勢いで言った一言で3人とも出場する事になりました。

私は運動は好きですが長距離は嫌いなので、近所でジョギングしてる人を見かけるけと何が楽しくて走ってるのか全く理解出来ませんでした。
ただ、その頃お腹周りがドンドン成長していたので、
〝マラソンに出ることになれば嫌でも毎日走るだろうし、そうすれば少しはお腹の成長も止まるだろう〟
そう思って出場する事に前向きでいました。

 

【大会3ヶ月前】
家の近くでトレーニングを開始しました。
しばらく長距離を走っていなかったので、初日は軽く走るつもりで1周1.4kmのコースを2周走る予定でしたが、なんと1周でバテバテ。
私の運動不足は、予想を遥かに超えていました。

それから週2回のペースで走り、2週間目でやっと2.8km(2周)走れるようになり、タイムも少しずつ意識出来るようになっていって、1ヶ月後には5km走れるようになりました。
しかし42.195kmまでは程遠く、このままで2か月後の大会に完走出来るのか心配でした。

 

【大会1ヶ月前】
11月に入り季節はすっかり冬。
私は寒さにめっぽう弱く、全くトレーニングをしなくなっていました。
外寒いし。
残り1ヶ月、〝せめて10kmは走れるようにしておかないと・・・〟と思っていたころに、一緒に出場する友人Aからメールが来ました。

「どうですか?走ってますか?僕は腰痛になって全然走ってません。これでは、ただの沖縄観光になっちゃいます」

実は私も観光になる予感がしていました。
12月の沖縄は初めてだし、冬の沖縄って何が楽しめるんだろうか?
そんな言葉が頭をよぎり、
〝ホエールウォッチングは2月だからまだ早いかあ〟
〝スノーケリングはやっぱり無理だろうなあ〟
〝あ、でもウエットスーツを着れば大丈夫か?〟

いかんいかん、気持ちが観光に向っている。
これじゃ駄目だ。
そういえばこんな話を聞いたことがある。

「マラソンは本番で実力以上の力は出ない。」

確かに。
体調が悪くてマイナスになる事はあっても、体調が良ければ本来の実力が出るだけだ。
野球にはラッキーがあるけどマラソンには無さそうだ。
私はそれを友人Aへ返信しました。

「マラソンにはラッキーは無く実力以上の力は出ない。目に見えない力が必要だから、今日から盛り塩をしよう」

違う力を身に付けようとしていました。

 

【大会前々日】
とうとう沖縄入りする日が来てしまい、結局練習で5kmしか走れないまま本番を迎える事になりました。

那覇に着き、タクシーに乗ると、
「お客さん、那覇マラソン出るのぉ?頑張ってねー」
と言われ、明日はコースを下見しようと思ってると言うと、
「そうねえ、走ると疲れるから歩くといいさあ。まあ、全部歩くと疲れるから、半分だけ歩いて戻ってくるといいさあ。」
とアドバイスをくれました。
半分行って戻ってきたら42.195kmなんですけど。

 

【大会前日】
夜は那覇の居酒屋に行き、3人で前夜祭をする事になりました。
店に入ると店員さんがいきなり、
「相沢さんですか?」
と聞いてきました。
私は相沢さんではないので「違います」と言うと、
「すみません。22名の団体さんで相沢さんという方の予約が入ってたんでぇ。」
と言っていましたが、どう数えてもこちらは3名。
2秒で数え終わる人数、なぜ22名の団体と間違えたのか・・・。

 

「明日のために今夜はビール2杯にしておこう。」
と言って3人で乾杯しました。

しばらくすると、仙台から来たという22名の団体さんが来店。
相沢さんでした。

妻が相沢さんらしき人に、
「相沢さんですか?」
と聞くと相沢さんはビックリ。
そりゃそうです、沖縄に来て全く見覚えがない異性に名前を言われれば、ビックリすると同時に何故かワクワクしてしまう。
これが切っ掛けで相沢さんグループとも仲良くなり、みんなで盛り上がりました。
あまりに楽しかったのでビール2杯で終わるわけもなく、気がつけば更に泡盛を2合飲んでいました。

21時頃、相沢さん一行は帰ることになりハイタッチでお別れをしました。
静かになった店内でふと我に返り、
〝やっちまった、明日絶対走れない〟
と思い、友人Aを見ると酔い潰れて口を開けて寝ているし、妻はハイテンションで呂律も回ってない状態。
我々の初マラソンは、戦わずして終わりを告げようとしていました。

すると居酒屋の女将が、
「これ飲めば大丈夫さあ。ウコン。絶対大丈夫」
ウコンの効き目はよく知っているが、フルマラソンが走れるほど回復するだろうか・・・。

そう思いながらも、〝明日二日酔いになってませんように!〟と願いを込めて飲みました。
〝ついでに42.195km走れますように!〟とウコンの効力とは関係ない願いも込めて飲みました。

 

【大会当日 朝5:30起床】
目が覚めると、驚いたことに前日の酒は残っていません。
さすが沖縄の女将が勧めるウコンです。

8:00過ぎに会場に着き、間もなくしてスタート位置へ並ぶようにアナウンスがながれましたが、並び始めるのが遅かった我々は最後尾からスタートする事になりました。
最後尾スタートでは、実際のスタートラインへ到達するまでに20分ぐらい掛かるので、制限時間が短くなって不利なんですけど、そもそも完走できると思っていませんでしたし、完走出来る体力があるのなら20分のタイムロスは関係ないだろうとあまり気にしてませんでした。
ところが実際は、この20分のタイムロスを痛感する事になるわけです。

 

【いよいよスタート】
スタート地点ではマイクを使ってカウントダウンが始まり、この年のスターターはジャイアンツの阿部選手でした。

5,4,3,2,1,ゴーン

万国津梁の鐘と共にスタートしました。
その瞬間、我々も最後尾で「イエー」と言いながら盛り上がりましたが、実際にスタート地点を通過したのは22分後。
スタートライン近くでは陽気なおじちゃんがラジカセを高々と上げて音楽を我々に聞かせていて、音楽に耳を傾けると松村和子さんの
「帰ってこ~いよ~♪」
でした。

そしてスタートから2kmぐらい進むと、最初の給水所があり沢山の人だかり。
〝おいおい、まだ2kmでそんなに水に群がってみんな大丈夫か?〟
そう思いながらも気が付くと自分も群がっていました。

7km地点を過ぎると、今度は大音量で「YMCA」が流れています。
これは毎年行われている名物で、走ってる人もみんなそこを通過する時
「♪ワーイ・エム・シ・エ」
と手でYMCAをやりながら走るんです。
私も通過する時、曲にあわせて「ワーイ・・・」と手を上げようとしたら、まさかの「ヤングマン・・」の部分。
前を走っていた女の子も、手を途中まで上げて恥ずかしそうに下げてました。

10km地点通過。
今回スポーツ用のエネルギーゼリーを3つ用意していて、10km毎に食べる計画でした。
スタート前に妻と冗談で、
「このゼリー、走り終わってから食べる事になったらイヤだね。」
と話していました。
どういう事かと言うと、ゴ―ルまでに二つの関門があり、そこを制限時間内に通過出来ないと強制的に終了となります。(いわゆる〝足切り〟というやつです)
関門は21km地点と33.1km地点。
もし第1関門を通過出来ないと、残り1個のゼリーは回収バスの中で食べる事になる。
それだけは避けたいという事です。

 

【21km地点 第1関門】
第1関門を制限時間残り10分で通過する事が出来ました。
とりあえず2個目のゼリーは消費出来ました。

さてこれからは未知の世界なんです。
学生の頃でも20kmまでしか走った事がなく、この先は全く知らない世界。
練習では5kmしか走れなかったのに、よくここまで来たと思います。
しかしいろんな問題が起きたのも、この辺りからでした。

先ず最初は、左足の人差し指の爪でした。
爪の3分の1あたりから反対側に折れ曲がって、足が地面に着く度に痛みが走りました。

そして次に起きたのは両足の太もも。
23kmあたりで痙攣し始めました。
いろんな事が次々起きてくるので、この後どうなっていくのか、少し楽しみなのと不安な気持ちが入り混じって複雑でした。

中間地点を過ぎてからは、〝もしかしたら完走できるかも?〟と思い始め、1km毎にゴールの時間を計算していました。
ところが22km地点、23km地点、24km地点、何度計算しても今のペースだと制限時間にギリギリゴール出来ないんです。
どこかのポイントでペースアップする必要がありました。
後になればなるほどキツくなると思い、25km地点からペースを上げることにしました。

3kmぐらい速いペースで走り28km地点まで来ると、何とか時間内にゴールが出来そうな感じになりました。
もう一度どこかのポイントでペースアップする必要がありましたが、取り合えずは見通しが付いたので少しペースを落とそうと思った時、次の問題が発生しました。

視界がコマ送りになって意識も遠くなり、まるで酔っぱらってるかのような視界で、いくら深呼吸をしても酸素が入ってこない感じになりました。
ちょっと前までゴール出来ると思ってたのに、数分後にこんな状態になるとは・・・。

そしてとうとう歩き始めました。
絶望感の中いろんなことを考えました。
お腹も空いていない。
水分もコマ目に摂っている。
体全体を水で濡らしているから、暑さもあまり感じてないし熱中症ではない。
何が悪いんだろう・・・。
もうここから回復する気が全くしませんでした。
このままでは倒れると思い、水をガブ飲みし、そして歩きました。

どれぐらい歩いたでしょうか。
しばらくすると、いつの間にか視界が元に戻っていることに気付きました。
〝行ける〟と思い、妻に電話をして第2関門の制限時間を聞くと、
「33.1km地点を14時ちょうど」
残り30分で4km。
〝まだ間に合う〟
また走り始めました。
あ、ちなみにその時妻は、回収バスの中でゼリーを食べてました。

10分ぐらい走った所で、交通整理をしている人がビックリする事を叫んでました。

「第2関門の35kmまで、残り4kmで20分です」

耳を疑いました。
〝第2関門が35km?〟
妻の情報と違う、無理だ。
1kmを5分で走るのは、今の体力ではとても走れない。
一気にペースダウンしました。

〝聞き間違いか?〟と思いましたが、横を通過していくランナーも、
「あと4kmを20分はキツいな」
と言っている。
聞き間違いじゃなかった、もう終わった。
歩こうかと思いました。

とりあえず歩きはせずゆっくりなペースでダラダラと走っていましたが、第2関門まで残り10分になった時、不思議な事がありました。

頭の中に突然、
〝奇跡が起きるかどうか、挑戦しないと分からない〟
そんな言葉が浮かんできました。
誰かがそう言っているように思え、この時の感覚はとても不思議でした。

でも確かにそうだ。
今はっきりしている事は、このままゆっくり走っていたら第2関門は通過出来ないということ。
ダッシュをしたら、自分の中に眠っている高橋尚子並のアスリートの力が目覚めるかもしれない。
目覚める可能性は極めて低いが、このままゆっくり走っていたらアスリートの力は永遠に眠っているだろう。
そもそも私の中にそれは眠っているのか?というのも問題ではあるが、ただ、〝あと10分でマラソンが終わる〟そう思ったらいてもたってもいられなくなり、残り3kmを10分で行ける筈がないけど、とにかくダッシュしました。
すると限界だと思っていた体が反応し、何人もゴボウ抜きしました。
ビックリです。
高橋尚子が目覚めました。

すると、諦めていた第2関門の看板が見えてきて、距離を見ると33.1km地点。
妻の情報が正しかった。
心の中で、〝あの交通整理のヤツ〜〟と思いながらも残り2分で第2関門を通過出来ました。
あの誤報を聞いた時、諦めて歩いていたら間に合っていなかったわけです。

残り9km。
一瞬〝あと少し〟と思いましたが、練習で走ったのは5kmが最高だったので、それを考えるとまだ短い距離ではなく、残りの体力と時間を考えてもまだ安心出来る距離ではありませんでした。

そして36kmあたり、このペースで行けばギリギリ制限時間に間に合うと思った時でした。
また視界がコマ送りになり意識が遠くなったのです。
さっき水をガブ飲みしたら治った事はすぐに思い出せませんでした。

やっとここまで来たのに・・・。
深呼吸しても酸素が入ってこない。
あと6kmなのに・・・。
と思いながら、また歩きだしました。

〝さっきはどうして意識が戻ったんだろう?〟と、記憶を28km地点まで巻き戻して、ひとつひとつ取った行動を思い出しました。
そして、水のガブ飲みを思い出したんですが、その時に限って沿道で出してくれているのは、さんぴん茶やスポーツドリンク。
スポーツドリンクでも良かったんですけど、体にも水をかけたかったので水が欲しかったんです。

どんどん意識が遠くなっていく中、少しタイムロスになるけど水を自販機で買うことにしました。
ウエストポーチからお金を出す手が、少し震えていたのを今でも覚えています。

水を飲んで意識は回復し、残り5kmを40分。
1km8分ペースはかなりゆっくりなペースですけど、足の爪は痛いしこれから3kmぐらい上り坂が続くので、時間内にゴール出来るか微妙でした。

 

【ゴールまで残り3km】
時間はやっぱりギリギリで、ゴール出来るか微妙でした。
頭ではペースを上げなければと思いながらも、体が反応しなくなっていました。
沿道の人達が、
「歩いたら間に合わないよ〜、頑張って〜」
と声援を送ってくれています。
確かに歩いたら間に合いません。
もうこの時点では、膝から下の感覚はあまりありませんでした。
と言うよりも、この時点で親指の爪が剥がれかかっていて、そっちに意識を向けないようにしてたと思います。

 

【ゴールまで2km】
「あと少しだよ~。頑張れ~。歩いたら間に合わないよ~。最後がんばろ~」
という声援が心に響き、涙が出そうになりましたが、泣くと体力を消耗するのでこらえました。

やっと競技場(ゴール)がある奥武山公園(おうのやまこうえん)が見えてきました。
残り5分。
ゴール近くまで来ているのは分かるんですけど、あとどれ位なのか距離が分からず、細かい計算も出来なくなっていて時間内にゴール出来るか不安でした。

〝こんなギリギリになるなら、最後尾からスタートするんじゃなかった〟
22分遅れのスタートをここで後悔しました。

奥武山公園に入ると、沢山の人が声援を送りながら競技場までの道を作ってくれていて、みんなとハイタッチをしながら走りました。

競技場の入口が見えてきて、入口でテレビカメラが回っていたので、そこだけはお腹を引っ込めて走り、そして競技場の中に入りました。

中に入った時は残り2分。
〝ゴールはどこだ?もう通過したのか?ゴールがありませんけど?〟

ゴールがよく分かりませんでした。
すると、200mぐらい先にゴールを見つけ、時計を見ると残り2分切ってました。
〝あれ?200mって何分かかるんだっけ?〟
もう計算は全く出来なくなっていて、とにかく走りました。

〝あと100m。残り時間1分30秒。100mって走ると何秒だっけ?このペースで間に合うのか?ダッシュしないと間に合わないんじゃないか?〟
いろんな疑問が頭の中を駆け巡り、ゴールゲートが徐々に近づき、時計を見るとあと1分15秒。
〝多分間に合いそうだ。もう来年は絶対走らない〟
そう思いながら残り時間1分8秒、遂にゴールイン出来ました。
なんとも言えない感動と、いろんな思いが込み上げてきました。

『朝スタートした所に自分の足で戻ってきたんだ』

『途中でトイレに行っていたら間に合わなかった』

『人間って6時間動き続けられるんだ』

『来年はもっと前からスタートしよ』

『いや、もう2度と走りたくない』

間もなくして、制限時間終了を告げる花火が鳴りました。

パン・・パンパン

みんな拍手をしています。
自分も拍手をすると、自然に両手を上げていました。

完走証を受け取ると、そこには15,968位と書いてありました。
出場したのが23,000人で最後尾からスタートしたから7,000人を抜いた計算になります。
岐阜県の揖斐川マラソンだったら出場者が6,000人なのでぶっちぎりの優勝だ。

フラつきながらみんなの所へ向かうと、友人Aも完走していました。
お互いを讃えあい、芝生に座り込んで雑談をしました。
妻は完走出来ませんでしたが、私が完走出来た事を自分の事のように喜んでくれました。

そして時間が30分、1時間と過ぎていくうちに、〝来年は絶対に走らない〟と思ってた気持ちが、いつの間にか〝来年も出ようかな〟に変わっていました。

もうまともに歩くことも出来ないのに。

マラソンとは、両足の親指の爪が剥がれ、途中で倒れかかったのにまた参加したくなるという、不思議なスポーツです。

こうして私はマラソンにハマりました。
結局、具体的に何がそういう気持ちにさせたのか分かりませんが、自分の中でいろんなドラマが生まれました。
きっとそういうことなんでしょう。

うちの社長は3時間台で走るので遠く及びませんが、5〜6時間かけて走るマラソンもオススメです。

皆さんも走りましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメント

お名前 *

ウェブサイトURL